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knagayama's notes

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2010-11-29

国家は暴力装置ではない

05:33

この間の暴力装置騒動について思うところを綴る。そもそも暴力装置とは何なのか、という話。結論から言えば、暴力装置という言葉は(他の記事で既に指摘されているように)ヴェーバー社会学の語彙に属するものではないのではないか。この意味では即ち国家も軍隊暴力装置ではないのではないか、ということになる。そして、Gewaltapparat ではなく instrument of violence として「暴力装置」を理解するのならば、それは明らかにマルクス的思考から出てきたものである。

国家は暴力装置ではない

…国家とは、ある一定の領域の内部で─この「領域」という点が特徴なのだが─正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である

... Staat ist diejenige menschliche Gemeinschaft, welche innerhalb eines bestimmten Gebietes – dies: das „Gebiet“, gehört zum Merkmal – das Monopol legitimer physischer Gewaltsamkeit für sich (mit Erfolg) beansprucht.

この騒動の間幾度も読み返されたであろうヴェーバーの定義を見返してみれば、国家 Staat とはある特徴を有する人間共同体 menschliche Gemeinschaft であって、暴力装置 Gewaltapparat ではない。その特徴とは正統的物理的暴力行使の独占を成功裏に要求することである。国家とは人間を成員とする団体のことなのであって、装置や制度そのものではない。装置は主体たり得ないが団体は主体たり得る。(勿論ヴェーバーにおいて本当の意味で行動できるものは個人しかあり得ない。)

Instrument of violence暴力装置ではない

例の発言が英語に訳される際、"instrument of violence" という訳語が当てはめられたようだが、厳密にはこれは暴力装置の訳語ではない。暴力装置が Gewaltapparat の訳語であると想定されているのであれば、適切な訳語は apparatus of violence だろう。しかしこの言葉は英語としては歪である。

一方で Instrument of violence というのは明確に市民権を得た言葉だが、これはヴェーバーではなくマルクスに由来する用語だ。Instrument というのは「道具」と訳すべきだろう。国家はそれ自体で動く主体ではない。それはブルジョワジープロレタリアートに暴力をふるうときに利用する道具に過ぎない。国家に焦点を当ててしまうと、その裏で行われている階級闘争に目をやることができなくなってしまう…という議論の中で、国家は支配階級の Instrument である、という話が出てくる。そして国家が主体ではないからこそマルクスの思想において国家は(階級闘争の終わりと共に)消え去ることができるのである。

勿論ヴェーバー階級闘争について語るけれども、この国家観は彼の国家概念と明確に対立する。ヴェーバーは国家に人間集団としての地位を認めるが、マルクスはそうでない。後者において国家は主体ではないのだ。それは単なる手段、支配階級の道具に過ぎない。ヴェーバーにおいては逆で、階級 class は共同体ではない。同じ階級に属する人間たち、すなわち同じ経済的な利害を持つ人間たちがそのまま同じ集団、同じ共同体に属することにはならない。Wirtschaft und Gesellschaft 第三部第四章を参照。

Gewaltapparat はヴェーバーによって明確に論じられた概念ではない

これは既に指摘されている。たとえば Wirtschaft und Gesellschaft にこのことばは一回しか出てこない。「共同体」などの重要概念とは異なり、明確に概念として練り上げられたものではないと言ってよいと思う。

暴力装置」概念は社会学政治学の常識ではない

しばしば「国家は暴力装置、というのは社会学の常識」というような類の言明が見受けられたが、少なくとも私にとってはそうでない。国家(というのは特定の人間集団です)による暴力の独占 Gewaltmonopol des Staates というのは明確にヴェーバー社会学の語彙に組み込まれている。Instrument of violence も常識であると言ってよいだろう。けれども、暴力装置 == Gewaltapparat == Apparatus of Violence という言葉は社会学的理論の語彙に入っているといえるだろうか?

追記

「国家が暴力を独占する」の意味は、国家が自らの暴力の行使に対してのみ、正統性を付与するということである。

これも厳密には更なる説明が必要な言明だ。ある団体が自らの暴力の行使に対してのみ正統性を付与するという事象自体は近代に特有のものでない。「俺の行使する暴力は正統だがお前のはそうじゃない死ね」という主張は近代でなくとも見受けられる。むしろその主張が「ある明確に線を引かれた領域の内部において」「成功する」というのが近代国家の特徴である、とヴェーバーは論じているように私には見受けられる。また、これは社会学的な記述として提供される説明であって、ヴェーバー的には normative な意味を含まないので、「だからシビルソサエティは暴力をコントロールする必要があるのです」というストーリイに接続することは厳密にはできない。

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